いざ最終聖戦地、原城へ!天草四郎が航路を見守る鬼池港
天草には、いくつかの天草四郎の像があります。その中のひとつ天草市五和町の鬼池港になる天草四郎像に会いにいってきました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一番奥に見えるのが今回のターゲット天草四郎像。

いい意味レトロチックな看板を発見。

鬼池港は天草と長崎県口の津港を結ぶフェリー発着所。


口の津からは天草島原の乱の最終聖戦地、原城もまじかとあり、
天草を巡った後はここから、長崎島原へ向かう窓口です。
フェリーの乗車時間も30分で到着しますので、あっという間に口の津港に到着します。

ちょうどフェリーが出発するようです。

口の津港へ向けて出発。

いってらっしゃ~い。


真ん中に見えるのが、かの有名な談合島「湯島」鬼池港からも見えるんですね。
ところで天草四郎の像はどうなってるの?

天草四郎像は鬼池港の発着所の真向かいになり、
鬼池港から口の津港へと向かう船の安全を祈るかのように、たたずんでいます。


少し逆光で見えにくいですが...

像の台座には「残照に立。天草四郎」と刻まれていています。

建立されたのは昭和57年のようです。

これからも天草島民ならびに天草へ旅行に来られた方々の
旅の無事を見守っていただきたいと思います。

今回はフェリーには乗っていないのですが、
以前、長崎方面へ行った時に撮影したフェリーから見る天草四郎像。
詳しい運行情報は
島鉄フェリーホームページへ
より大きな地図で 天草四郎 を表示
さてオマケです。
天草四郎とはどういった人物だったのか?
朝日文庫:街道をゆく17 島原・天草の諸島 司馬遼太郎 より抜粋。
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天草四郎は天草島原の乱の総大将である。若干16歳の若者が3万7千人もの民衆を率い、原城趾にたてこもり、時の筆頭老中松平信 綱を征討司とする幕府軍12万4千人と対峙し、3ヶ月の篭城戦を戦った。寛永14年2月28日幕府軍の総攻撃のまえに、唯一人の密通者を除いて、全員討ち 死にした。美少年と伝えられ、美しい装束を身にまとっていた天草四郎も首をはねられた。四郎の首は彼の母親によって確認されたという。母親と彼の姉妹は乱 の直前、細川藩に捕らえられており、四郎の首を見せられた母親は、思わず取り乱してしまったという。それにしても稀有な事件といえるだろう。3万7千人も の民衆が島原と天草という海を隔てた二つの地域で、同時に呼応して立ち上がり、一揆をおこした。島原地区では、口之津、加津佐、千々石、有家、有馬の村人 は一人残らず、全員が原城趾にたてこもり、そして討ち死にした。天草地区でも、天草の上島、下島ほぼ全島より、約1万2千人が家族ともども、海を渡り、原 城趾になだれこんだ。現在のように、交通通信手段が発達しているならまだしも、江戸初期に海で隔てられた二つの地域の民衆が同時に蜂起したのは、よほどの 事情があったのだろう。この海峡は早崎瀬戸と呼ばれており、約7キロである。この海峡のほぼ中央に湯島という小さな島がある。この島に二つの地域の人々が 集まり、決起について相談を重ねたという。そこでこの島は談合島とも呼ばれている。この天草島原の乱の背景には当時の社会、経済、政治情勢が深く絡んでい る。戦国時代、島原は有馬氏が治めていた。有馬晴信はキリシタン大名であり、当然家臣、村人にもキリシタンが多かった。時代が変わり、徳川の世になるとキ リシタンは禁制とされ、晴信の子直純は転封され、日向に移った。この時家臣団のうち、キリシタンの者は直純に同行せず、島原に残り、帰農した。この元家臣 団が一揆の中核となった。有馬氏に代わって、島原の藩主になったのが松倉重政という大和(奈良)の武将であった。重政の父、右近は山崎の合戦の時、洞ヶ峠 を決め込んだ筒井順慶の老臣であり、洞ヶ峠を提案したその人であった。重政という男は一言で言えば、見栄っ張りで、野心家しかも上昇志向に駆られている人 間であったようだ。この重政は島原4万3千石に着任するや、農民に過酷な租税を課した。いくら重政とはいっても自分の生国であれば、これほどの事はできな かっただろうと思われるほどの過酷さであった。重政の子勝家も親に負けず劣らず、領民を絞りに絞った。島原の人はよう生きとると他の土地ものから言われる ほどであった。こういう状況では農民は一揆に立ち上がるのは当然である。しかし、生存権をかけて立ち上がるというより、もはや、一刻でも早くこの世を去る ために結束するという絶望的なところに追い込まれていた。
対岸の天草でも状況は酷似していた。島原天草地方は日本にキリスト教が伝来して 以来、布教の中心地になり、諸大名もこぞってキリシタンに改宗した。島原の有馬晴信もそうであるが、肥後宇土の小西行長も熱心なキリシタンであった。関が 原の戦いで行長が没した後、天草は肥前唐津藩の飛び地になった。本来天草は肥後であり、現在も天草は熊本の行政圏である。なぜ唐津藩の領地になったのかと いえば、加藤清正が大のキリシタン嫌いだったからなのである。関が原の戦いの後肥後の藩主になったのは加藤清正であった。当然、天草も清正の領地になる筈 であった。事実2年間は清正の領地であった。しかし、清正はキリシタン嫌いであり、家康側近に働きかけ、天草を返上し、豊後の鶴崎と交換してもらった。こ の清正の放棄により、天草は明治になるまで肥後から切り離される運命となった。天草の領主になったのは、秀吉がまだ織田家の家臣であったころから、秀吉に 仕えていた寺沢広正の子広高であった。彼は唐津8万1千石の堂々たる藩主となった。この広高が天草を領するに及んで天草を検地しなおした。その結果4万2 千石とした。天草は断崖が海に迫り、農耕に適する土地に恵まれない、もともと貧しい地域である。この4万2千石というのが、実情からかけ離れたものであっ た。このため天草の領民は租税に苦しんだ。天草でも領民が一揆を起こさざるを得ない状況に追い込まれていたのだった。
海を隔てた二つの地 域で民衆蜂起のエネルギーがその極に達していた。そこに火をつけたのが、キリシタンという宗教であった。天草島原の乱で唯一人生存したのは山田衛門作とい う絵師であった。彼は日本ではじめて西洋絵画の技法を学んでいたとされている。一揆方の陣中旗は現存しており、二人の天使が聖杯を捧げている図柄である。 この陣中旗を描いたのが衛門作であった。乱の後、彼の口述書が残されている。この口述書が一揆の顛末を語っている。それによれば、大矢野島の近くの千束島 に5人の小西行長牢人がいた。彼らは一揆の前年から奇説を言いふらした。昔、一人のバテレン(神父)が26年前、公儀により、この地区から追放された。こ の神父は「26年後、この地に善き人が現れる。この子は諸人の上に十字架を立てるだろう。」と言い残した。いうまでもないことだが、この子こそ天草四郎 だったのである。四郎は本名益田四郎といわれ、小西行長の牢人益田甚兵衛の子である。天草四郎については、残された資料が少なく、四郎について詳述するこ とは出来ない。天草島原の乱は民衆が過酷な現実を覆すために、キリスト教の旗の下に結集し、その象徴としての奇跡を起こすかもしれない美少年の天草四郎に 自らの運命を託した結果であったといえよう。
3ヶ月の篭城の原城趾にたてこもった3万7千人の民衆は討ち死にする。四郎の奇跡は起こらなかったのだ。
原城趾は今なおその遺構をとどめている。そこに佇めば、300年前の乱の民衆の凄まじいエネルギーとそれに引き続き起こった終末の苦しみ、うめきが聞こえてくる。彼らになんらかの救いはあったのだろうか。
決 起した民衆は全員白装束であった。月代は十字に剃り上げられ、一目で一揆衆である事がわかった。陣中旗はラテン語で書かれており、日本語は一語としてな い。一揆方の"ときの声"は「サンチャゴ」であった。サンチャゴとはスペインの守護神のことである。一揆方はサンチャゴの由来はおそらく知らなかったこと だろう。この"ときの声"を聞いた幕府方は大層驚いたという。
民衆はキリストの旗の下に死んでいったが、ローマカトリックは彼らを殉教者 として、認知していない。一揆が時の為政者に向けられたものであった事、一揆方に正式の資格を有する神父がいなかったというのが、その理由であるという。 しかし、カトリックの歴史を通じて、これだけ大規模な殉教が起こった事例はない。遠い異国の地でキリストに殉じた民衆はいつになったら、救われるのだろう か。
赤穂浪士は義に殉じた。彼らの美学は日本人のこころを捉えて放さない。しかし、天草島原の民も、時の為政者の無謀な苛斂誅求に抗し、 立ち上がり、そして殉じた。乱後、島原城主松倉勝家は切腹ではなく、打ち首となった。一方の寺沢堅高は精神を患い、自死した。古今東西の歴史に照らして も、稀有な事例といえよう。
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