驚愕!あの剣豪宮本武蔵が天草・島原の乱に参戦。
誰でも知っている二刀流の剣豪・宮本武蔵。巌流島での佐々木小次郎との決闘があまりにも有名だが、
その後の消息は不明な点が多い...
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実は天草・島原の乱に動員されたという史実が残っている。

宮本武蔵が有馬直純にあてた直筆の書状
武蔵が日向延岡藩・有馬直純にあてたこの書状には...
「拙者も石にあたり、すねたちかね申す」
とあり、投石が足(すね)にあたり、難儀したことが記されています。
かの司馬遼太郎もこう書いています。
(司馬遼太郎 街道をゆく⑰ 島原・天草の諸島より抜粋)
今、NHKの大河ドラマで宮本武蔵が取り上げられている。慶長17年(1612年)巌流島での佐々木小次郎との決闘はあまりに有名であり、よく知られている歴史的事実である。ところが、この巌流島以後の武蔵の消息は不明な点が多い。決闘から25年後、武蔵は寛永14年(1637年)に勃発した天草・島原の乱に参戦したことが知られている。武蔵の甥に宮本伊織という人物がいる。武蔵の養子となるこの伊織は15歳の時、武蔵に推挙され、明石藩主小笠原忠真に仕官する。20歳で家老職となり、翌、寛永9年藩主の小倉転封とともに小倉に移り住んだ。伊織とともに小倉に来た武蔵は小倉藩の客分として遇されていた。天草・島原の乱に際しては、小倉藩主小笠原忠真の親戚筋にあたる中津藩主小笠原長次の配下で軍艦として出陣した。この時、伊織も小倉藩の侍大将として参戦している。伊織はこの天草・島原の乱で武功を立て、乱後4000石を与えられた。この伊織の武勲には武蔵の指南が大きな影響を持っていただろうことは容易に推察される。この乱の最中、肥後熊本藩の家老松井興長は武蔵に使者を送り、贈り物を遣わした。乱後寛永17年、武蔵はこの興長に便りを出し、仕官を依頼した。当時の肥後藩主は細川忠利であった。忠利は高い精神性の持ち主であり、華麗なほど武士道という倫理性を重んじていた。武蔵を肥後藩に迎えたのも藩主忠利抜きには考えられない。忠利は漂泊の武道者武蔵を客分として丁重に迎えた。武蔵もこの忠利に深く感銘し、熊本を終の棲家とすることになる。武蔵は晩年、熊本近郊の霊巌洞に籠もって五輪書を著わした。武蔵と肥後熊本の縁は天草・島原の乱の最中に結ばれたということになる訳だ。
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